おはようございます。
内海です。 http://sskg.jp
【ほぼ日刊】社長のネタ帳 2015年9月23日号
・「何故、動いてくれないんだ。」~営業2課リーダーの挫折

私は大学卒業後、コピー機の飛び込み営業の会社に就職しました。
入社してすぐにメーカーの研修を受けました。
「我々は、うだつの上がらない奴らを知っている~。売って、売って、売りま
くるぞ~」
とホースを叩きながら絶叫する研修でした。
研修最終日は、地図を与えられ100件以上の会社に飛び込みました。
(私は131件飛び込んで札幌地区の記録を更新しました。)
その後、会社に戻りひたすら飛び込みの毎日でした。
最初の受注は5月の最終週でした。上司に同行してもらいながらですが、物を売る事の喜びを知りました。
その後は、売るコツをつかみ新人記録が視野に入り始めました。営業の仕事の醍醐味を味わっていました。
その年の年末に、上司が、当時日本に進出し始めた外資系保険会社の仕事を始めるために会社を辞めるという事を聴きました。
上司は翌年の3月末に会社を辞めて、私は入社2年目で営業2課のリーダーとなりました。
学生時代に自分でサークルを立ち上げイベントも度々成功させていたので人を動かすことに対して自信がありました。
しかし、年上の部下たちは私の言う事を全く聞かず、全く動きませんでした。
どうして良いのか分からず、まずは自分が売り上げを上げれば部下も動くだろうと個人の営業成績を求めてがむしゃらに働きました。
しかし、私の個人成績は上がるものの営業二課の売上目標は達成されないままでした。
左後方の社長の席からの「内海君、内海君」の声を聴くのが苦痛でたまらなくなりました。
体が社長の声を拒絶するかのように左耳が聞こえなくなりました。後にメニエル病と診断されました。
「会社が悪い。社長が悪い。部下が悪い」と全てを他人の責任に転嫁して逃げるように会社を退職したのは入社した翌年の8月の事でした。
逃げるように会社を辞めてから四半世紀。
最近ようやく分かってきた事が剣豪を目指すのか武将を目指すのかの違いです。
私が師事している長谷川先生の著書社長のノートに「1対1の局地戦に強いだけでは、単なる「剣豪」どまり。
戦いの全体像を見渡すことができ、剣豪たちを動かして初めて「武将」になれるのです。」の一節があります。
武将になるためには「人・モノ・お金」の流れを意識して会社の全体像を見る事が出来なくてはいけません。
当時の私は正に木を見て森を見ずの剣豪気取りだったのでしょう。

編集後記
  結局左耳の聴力は戻らないままです。
自分への戒めとして残っているのでしょうね。